東京高等裁判所 昭和60年(行ケ)45号 判決
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
1 原本の存在、成立に争いのない甲第二号証の一(本願発明の特許出願公告公報)によると、本願発明は、「引起し装置の構成を簡素化することによつて、製作及び組立ての手数の削減及び軽量化を図り得ながら、確実良好な引起し作用を発揮し得る穀稈引起し装置を具現しよう」(第二欄第五行ないし第八行)との技術的課題の下に、前記本願発明の要旨のような構成を採択したものであることが認められる。
2 原告は、「原出願の当初明細書及び図面には、最下端へ下方に向かつて回動する時期(以下便宜上「余の約九〇度の範囲」という。)が引起し移送ラグを起立突出する引起し経路であるとは、記載されていなかつたものと認める。」として、「本願発明の要旨の一部の余の約九〇度の範囲という事項は、原出願の当初明細書及び図面に記載されていなかつた」とした審決の認定、判断は誤りである旨主張する。
原本の存在、成立に争いのない甲第九号証(原出願の当初明細書及び図面)によると、原出願の当初明細書に、本願発明の引起しラグ9に相当する引起し移送ラグ7の経路について、「引起しケースの一側で下部から上部に向かう引起し経路と該引起しケースの上端縁に側方に向けて形成した穀稈横送り経路とで引起し移送ラグが外方に突出できるように穀稈引起し装置を構成し」(第一頁第一五行ないし第一九行)との記載があるとともに、審決が摘示した第二頁第一八行ないし第三頁第三行並びに第三頁第一七行ないし第二〇行の記載のあることが認められる。
また、右甲第九号証によると、原出願の当初図面(本判決別紙図面(2))の第2図に、引起し移送ラグ7は引起しケース6内において、その内周に沿つて設けられている無端体8に軸によつて装着されていること、引起しケース6の最下端位置では、時計方向に回動する引起し移送ラグ7は既に無端体8に対してほぼ直角に起立突出した状態になつており、このような状態は引起しケース6の上端縁右端に至るまで維持されること、そして、引起しケース6の右側の下降経路では、引起し移送ラグ7の軸着部がその先端部よりも先行して下降し、引起し移送ラグ7の先端部が上になつている状態で引起しケース6内に収容されていること、以上の点が記載されていることが認められる。
そして、原出願の当初明細書第三頁第一七行ないし第二〇行の記載中の「穀稈引起し装置(5)の始端部に達し上方に向かつて回動している引起し移送ラグ(7)」とある部分、及び、前記のとおり、原出願の当初図面の第2図において、引起しケース6の最下端位置では、引起し移送ラグ7は既に無端体8に対してほぼ直角に起立突出した状態になつているように記載されていることからすると、右「始端部」は穀稈引起し装置5の構成部分である引起しケース6の最下端部を指しているというべきである。
以上の原出願の当初明細書及び図面の各記載によると、原出願発明の引起し移送ラグ7は、穀稈引起し装置5の始端部、すなわち引起しケース6の最下端部から上方に向かつて回動している経路、下部から上方に向かつて移動する経路並びに上端縁では、外方に突出した状態にあることが明記されていることは明らかであるが、引起し移送ラグ7の下端回動時において、外方に起立動作を行うのがどの位置においてなのかの点については、原出願の当初明細書に明示の記載がないことが右甲第九号証によつて認められるところである。
3 そこで、原出願発明における右の点について検討する。
(1) 成立に争いのない甲第一一号証の一ないし五(「自脱型コンバイン」昭和四五年九月社団法人日本農業機械化協会発行)及び第一二号証の一ないし三(「機械化農業」昭和四四年五月号 同年五月一日岸田義国発行)によると、右「自脱型コンバイン」第四二頁の前処理部の項の第1図及び「機械化農業」第六〇頁の2図に、引起しケース内の下降経路を倒伏した状態で回動する引起しラグが、引起しケースの下端部における回動を始めるのとほぼ同時に起立動作を始めるという構成を採用した穀稈引起し装置が、既成の製品の構造図として記載されていることが認められる。この事実によると、原出願発明の出願当時において、右のような構成を採用した穀稈引起し装置が実施されていたことがうかがえる。
(2) 穀稈引起し装置の通常の使用状態では、引起しラグの起立動作位置は穀稈のないところが望ましいというのが一般的技術常識であるというべきである。この技術常識に、原出願の当初明細書の前記第三頁第一七行ないし第二〇行のうちの「圃場の穀稈は分草体(11)によつて分離されて」との記載、並びに原出願の当初図面の第2図を照らし合わせて考えると、引起し移送ラグ7の回動時における起立動作の位置は、穀稈が当たらない分草体11の後ろ側に設定されるものと認めるのが相当である。そして、右図面によると、分草体11の後ろ側に設定されたと認められる引起し移送ラグ7の回動時における起立動作の位置はあたかも引起し移送ラグ7が下端回動を始める位置に当たるのであるから、結局引起し移送ラグ7は、下端において回動を開始すると同時に起立動作を行うものということができる。
(3) 分草体11で引起しケース6側に分離された穀稈は、引起し移送ラグ7によつて引起し作用を受けることは、原出願の当初明細書の前記第三頁第一七行ないし第二〇行のうちの「圃場の穀稈は(中略)引起し移送ラグ(7)に係合されて引起し作用を受ける」との記載から明らかであるが、このことに原出願の当初図面の第2図の記載を照らし合わせると、仮に引起し移送ラグ7が引起しケース6の最下端位置で起立動作を行うとすれば、分草体11で分離された穀稈であつても、その全部が引起し作用を受けないことになる。このことからしても、引起し移送ラグ7は下端において回動を開始すると同時に起立動作を行うものと解するのが相当である。
(4) 引起し移送ラグ7が下端において回動を開始すると同時に起立動作を行うものとしても、穀稈引起し機能に支障を来すことはなく、また、穀稈の引起し機能を特に変更したり、新たな機能を付加したりすることもないと考えられる。
(5) したがつて、原出願の当初明細書及び図面においては、引起し移送ラグ7は、下端で回動を開始すると同時に起立動作を行うことを読み取ることができるものというべきであり、このような認定を左右するに足りる記載は、原出願の当初明細書及び図面に存しないし、右認定を覆すに足りる証拠もない。
4 以上みてきたところによると、引起し移送ラグ7が下端において起立突出している引起し経路は、引起し移送ラグ7の下端回動時全体の範囲であるということができるから、審決が、「引起し移送ラグを起立突出する引起し経路は、最下端から上方に向かつて回動を開始し、この回動を終了するまでの時期(中略)並びに(中略)と解するのが相当と認める」として、「原出願の当初明細書及び図面には、最下端へ下方に向かつて回動する時期(中略)が引起し移送ラグを起立突出する引起し経路であるとは、記載されていなかつたものと認める。」と認定したのは、誤りであるというべきである。
そして、前記本願発明の要旨中に「引起しラグ9……を下端回動時(中略)において起立突出し」との記載があるから、本願発明においても、引起しラグ9が下端において起立突出している引起し経路は、引起しラグ9の下端回動時全体の範囲であり、この点において、本願発明と原出願発明とで異なつてはいないことになる。したがつて、「本願発明の要旨の一部の余の約九〇度の範囲という事項は、原出願の当初明細書及び図面に記載されていなかつた」とした審決の認定、判断は誤りである。
5 してみれば、右の誤つた認定、判断を前提として、本願発明につき原出願からの出願の分割を認めず、両引用例にそれぞれ記載された発明及び周知技術に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたとした審決の認定、判断はその前提において失当であつて、結局、審決は違法であり、取消しを免れない。
三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容することとする。
〔編註その一〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
引起しラグ9……を下端回動時及び上昇時の引起し経路において起立突出し、下降経路にあつては倒伏すべく起伏自在に枢着した無端チエン8を横張り状態に架設内装してなる引起しケース7をほぼ機体進行方向に沿わせて複数並設し、一つの引起しケース7の無端チエン8下降経路側に隣接引起しケース7の引起し経路を設け、前記引起しケース7の無端チエン8下降経路側側縁と隣接引起しケース7から突出回動する引起しラグ9……先端移動軌跡とをこれらの下部側方において一定間隙有せしめると共に前記引起しラグ9……先端移動軌跡に沿わせて引起し案内具11を設け、更に前記間隙前方には正面視においてこの間隙を覆わせかつ前記引起しケース7下端部と重合させて分草体10を設けたことを特徴とする穀稈引起し装置。
(別紙図面(1)参照)
〔編註その二〕 本件に関する図面は左のとおりである。
別紙図面(1)
<省略>
別紙図面(2)
<省略>